なんとか白い器が欲しい
李朝絵画は前半期には中国山水画の模倣だったが、18世紀後半に金弘道と申潤福が出て独自の境地を開いた。
金弘道は風俗山水画、申潤福は風俗画や美人画を得意とした。
磁器は、朝鮮白磁と呼ばれる磁器が作られており、前代の高麗青磁に比して華麗さでは見劣りしたが優美さでは先んじていた。
李朝時代に白磁が尊ばれたのは朱子学で白が高貴な気高い色とされているためである。
しかし、赤土しか産出できない地域も当然ある。
「なんとか白い器が欲しい…」そうした人たちが生み出したのが粉引である。
粉引とは、赤土で成形された作品に化粧土という泥を塗り、その上に透明の釉薬をかけ、還元焼成する。
李朝の粉引は日本に伝わり、酒器として大変高い評価を得た。
李朝陶磁器は儒教道徳を名目とした職人階級に対する非常に厳しい差別にも関わらず、優れた職人の存在により着実な進歩を遂げた。
医学分野では高麗の医学の伝統をそのまま受け継いだが、徐々に医療制度の改革、医学教育、専門医学書編纂を通じて東洋医学の集大成を成した。
漢城には王族の疾病治療を担当する「内医院」、医学教育と医学取才を総括する「典医監」。
金弘道は風俗山水画、申潤福は風俗画や美人画を得意とした。
磁器は、朝鮮白磁と呼ばれる磁器が作られており、前代の高麗青磁に比して華麗さでは見劣りしたが優美さでは先んじていた。
李朝時代に白磁が尊ばれたのは朱子学で白が高貴な気高い色とされているためである。
しかし、赤土しか産出できない地域も当然ある。
「なんとか白い器が欲しい…」そうした人たちが生み出したのが粉引である。
粉引とは、赤土で成形された作品に化粧土という泥を塗り、その上に透明の釉薬をかけ、還元焼成する。
李朝の粉引は日本に伝わり、酒器として大変高い評価を得た。
李朝陶磁器は儒教道徳を名目とした職人階級に対する非常に厳しい差別にも関わらず、優れた職人の存在により着実な進歩を遂げた。
医学分野では高麗の医学の伝統をそのまま受け継いだが、徐々に医療制度の改革、医学教育、専門医学書編纂を通じて東洋医学の集大成を成した。
漢城には王族の疾病治療を担当する「内医院」、医学教育と医学取才を総括する「典医監」。
update:2010年02月22日
